PRESIDENT'S HISTORY
蓑口社長のIT人生

IT業界歴40年の蓑口社長。新卒エンジニア時代から社長就任まで、激しい変化の波をどのように乗り越えてきたのか?
今だから語れる経営哲学とは? 業界全体の変遷とともに振り返ります。

外資系コンピューター
メーカーに新卒入社

エンジニアとして
キャリアをスタート。
2年目から
お客様に熱弁をふるう日々

実は、私にとってIT業界は第2志望でした。第1志望の業界とは縁がなくて、外資系のコンピューターメーカーに就職しました。理系出身で、プログラミングは少しかじった程度の素人でしたが、「ITはこれからの世の中を変えていくだろう」という漠然とした可能性を感じていましたね。エンジニアとして最初に携わったのは、工場の生産管理システムです。1970年代はじめにアメリカで考案された、MRPというシステムを扱っていました。MRPとは、モノづくりにおいて「必要なものを」「必要な時に」「必要なだけ」購入・製造するための計画を行うことを指します。アメリカ製のシステムなので、日本仕様に変換して、お客様である工場に導入する業務をしていました。当時は、部品をいつまでにどれだけ用意すべきかを算出するにも、部品調達の担当が、手作業で数えなければなりませんでした。そこで、必要な部品や個数を自動で算出できるシステムを導入しました。ミスが減り、製造スピードも短縮され、不要な在庫を抱えなくて良くなったということでかなり喜ばれましたね。1年目の頃から、少しでもお客様を理解したいという思いで必死に勉強して、2年目にはお客様先で直接お話させていただくようになりました。まだ若く、よく分かっていないのにもかかわらず、何か知っている風な口ぶりで話すものですから、お客様に興味を持っていただくことができました。時には演説のようにお客様に話すこともありましたね。

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業界の動き

日本経済は絶好調で、強い経済を背景に攻めの企業再編・合併が行われていた。高額なコンピューターは、銀行を筆頭に、特定の大手企業が使うものという認識で、システムを提供する企業はまだ少なかった。

蓑口's Eyes

当時は、現代のようなパソコンもインターネットもない時代で、あるのは「汎用機」という企業の基幹業務システムなどに用いられる大型のコンピューター。部屋いっぱいに機械が張り巡らされているほどの大きさでしたが、スペックは今のスマホよりも低かったです。それでも当時、生産管理にコンピューターを使っている企業は、大手中の大手企業。ほかの企業は紙媒体で管理するしかなかった時代でした。

業務SEから顧客専属SEへ

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蓑口's Eyes

お客様には、「事業拡大のために、仕組みを変えて、コンピューターを新しくしたい」という思いがありました。今日までの技術進歩も、IT業界だけで進化してきた訳ではなく、お客様のニーズがあったからこそではないかと思います。私自身も、お客様に育てていただいたという意識が強いです。

顧客企業の専属エンジニアとして
信頼関係を構築

新卒で入社した企業から転職し、その企業では、ある大手電機メーカーの専属エンジニアを7年ほど担当しました。そのお客様が元々使用していたコンピューターを、私の所属メーカーの汎用機に移行する業務です。専属エンジニアとして、お客様のコンピューターに関することは全て対応しなければなりません。また、自社製品を提供しているので、何があっても「分からない」とは言えません。お客様の事業や製品に対する理解も深める必要があったので大変でしたが、この時の経験によってプロジェクトの全体像を見る習慣が身につきました。
まず大事なのは、お客様のシステムを止めないこと。汎用機はシステムの中核なので、ひとつ止まったら全ての機能が止まってしまいます。トラブルの原因究明ミーティングをしている時に、別のシステムが止まったこともありましたが、お客様からは、問題が起きても私が来たら元通りになると思っていただけていたと思います。一緒に徹夜したこともありましたし、信頼関係が生まれていましたね。当時から意識していたのは、お客様と同じ価値観を共有することです。お客様は今の仕事を成功させたいという気持ちを持っているので、それぞれ違う企業でも同じ視点に立つことが大切です。自分の仕事は終わっても、全体がうまく進んでいなかったら意味がありません。とにかく、お客様の売上や利益を上げるのだという思いで働いていました。当時のお客様とは、今でも個人的な付き合いが続いていて、年に1回は会って「あの時は大変だった」と思い出話で盛り上がっています。

エンジニアから営業に転向

「オーケストラの指揮者」として、
エンジニアに迷惑をかけない営業に

営業に転向したきっかけは、上司からの突然のオファーです。上司は、私がエンジニア時代からお客様とやり取りしていることは知っていたと思います。私自身、このままエンジニアとして働くイメージは持っていなかったので、いい機会だと思いました。また、担当していた汎用機にダウンサイジングの波が来た時期だったので、汎用機が変わるのであれば、自分も変わってみようかと思い、営業に職種転向しました。
しかし、転向直後は戸惑いばかりでした。営業は年度初めにいきなり高い売上目標を掲げるのです。エンジニア経験のある私は、現実的に考えてこんな売上目標を達成できる訳がないと思いましたが、私も営業に転向して早速、高い売上目標を掲げていました。エンジニア時代は売上を強く意識していなかったのですが、いざ営業に転向してみると、難しい数値目標であっても常に意識していれば発想が変わってくるということに気付きました。目標を達成するためには何が必要かを考え、今まで手つかずの事業も案件化に向けて考えるようになりました。すると、年度末になると目標金額に近づいていくのです。考えるだけでは成長できないので、行動を起こす必要があります。
私が思うに、エンジニアが「楽器のスペシャリスト」だとすれば、営業は「オーケストラの指揮者」として、全体をまとめる役割です。エンジニアと営業では仕事に対する視点が異なり、エンジニア時代は営業に振り回されたこともありました。営業に転向した時は「エンジニアに迷惑をかけない営業になろう」と誓い、エンジニアと営業が1つになって、システムを提供するというスタンスを貫きました。メンバーも、「蓑口が動くから、僕らも動かなきゃ」という気持ちがあったようで、その分お客様にはクオリティの高いものが提供できたと自負しています。

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業界の動き

日本では、1995年以降PCやインターネットが爆発的な広がりを見せた。HPやE-mailが一般化し、生活からオフィスでの仕事のやり方まで大きく変化した。インターネットを利用したEコマースは販売管理、受・発注、物流管理など業務の効率化とコスト削減を可能とし、新しい市場を生み出した。

蓑口's Eyes

バブルが弾けた90年代は、IT業界も大変でした。営業になった頃は大不況で、お客様は予算を必要最低限まで削っていました。だからこそ、逆に「この大変な時期を乗り越えるには?」という視点で、お客様を焚きつけて少しでも予算を上げてもらおうと奔走した記憶があります。ニーズとしては、人手を使わない仕組みが欲しいという声が多かったですね。いかに効率的かつ直接的に利益をもたらすか、ということが求められる時代でした。

パートナーを目指して、
磨かれた経営者視点

営業に転向して面白いと感じたのは、エンジニア時代よりも営業の方が断然、お客様のトップと会える機会が多いということです。お客様のトップと会うことで、経営者視点を知ることができたのは大きかったです。かつては、全体の一部である「仕組み」をうまく動かす方法だけを見ていました。しかし経営者は企業のトップとして企業全体を見なければなりません。経営者と対峙する時に意識したのは、世の中にある事例を提案してみることです。外れてもいいから何かネタを発信することで、食いついてくれます。熱心に話は聞いてくれますが、結局モノになるのはほんの一握りです。それでも、お客様が何に興味関心があるのかが分かるだけで充分な情報収集になるのです。お客様の前では自社の代表として対峙しますが、社内に戻った時はお客様企業の代表だと思って働いていました。お客様の満足につなげるために、ルールの許す範囲で随分と粘ったこともありましたね。今から考えると、経営者目線を養うために必要な時期だったと思います。経営者は10~20年先を見ているので、目の前の案件なんて全く悩みの内に入らないのですよ。

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出向先で事業部長に

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業界の動き

ネットバブル到来。世の中にインターネットが普及するとともに、通信技術の進歩によりネットワークの情報量が各段にアップ。携帯電話でも、文字以外に画像や動画のやりとりが可能に。ECサイトが次々につくられた。書籍を取り扱うAmazonの日本進出は2000年で、当時は配送に1週間かかった。それ以降徐々に音楽やDVD、ゲームやソフトウェアも購入できるように。

蓑口's Eyes

私が知っているコンピューター業界の40年間は、「集中」と「分散」の繰り返し。汎用コンピューターの時期が集中で、ダウンサイジング・コンピューターの時期が分散です。かつてシステムはひとつのコンピューターに集中していましたが、システムの集中はコストがかかることとトラブル発生時などのリスクが大きいため分散に向かいました。しかし分散しすぎると、どのコンピューターで何が動いていて、データがどこにあるのかが分からなくなるので、また次に集中に戻る。だから、仮想的に集中させるソフトウェアが登場するのですが、それらは全て売り手側の思惑なのですよ。

事業部長は「監督」

2000年を越えるとハードウェアの価格が下がり、システム開発のビジネスが増えました。しかし、システム開発にはスキルや経験が必要です。そのため、関連企業から慣れた人に任せたいというオファーがあり、事業部長として出向することになりました。具体的な役割を聞いたら「蓑口さんがやりたいことをやってください」と言われて驚きました。かなり無茶ぶりだとは思いましたが、あるべき論をかざしてもうまくいかないので、事業部長としてまずは現状把握から取り組みました。組織編成やスキル、取引しているお客様やその取引内容を把握しないと企業のレベルが分かりません。事業部長として、数値目標をいかに達成するかを求められていましたが、業績が常に上昇することはまずありません。業績は外的要因に影響されることも多いのです。それでも、良い時・悪い時それぞれの原因究明はきちんと行うと決めて、次に活かす方法を見極める。スポーツと同じですね。営業は「指揮者」ですが、事業部長は「監督」です。全体を把握して見極めて、結果を出すことが求められます。

東京コンピュータサービス入社

帰郷するつもりが、
ユニシステムの社外取締役に

数社経験した後、残りの人生を地元・北海道で親孝行にあてたいと考え、札幌にも事業拠点を持っている東京コンピュータサービス(株)に入社しました。東京で面接を受けて、札幌支店に配属になる所まで話がまとまっていたのですが、当時の会長からもう少し東京にいてほしいと言われて今に至ります。人生何があるか分からないですね。東京コンピュータサービスでは、営業部門の責任者を4年間担当し、グループ企業であるユニシステムの社外取締役として月に数回ほど会議に出席していました。最初は現状把握から始めたのですが、私が今まで携わってきた業務とユニシステムの当時の業務はかなり違っていたので悩みました。私はエンドユーザーと呼ばれるシステムの利用者と直接取引をしていましたが、ユニシステムはエンドユーザーとの距離が遠い、2次請け・3次請けの業務ばかりで、積極的な営業活動はほとんどありませんでした。率直に言って、これでは全然面白くないと思いました。時代が変わらないのであれば、経営的にもこのままのスタイルでもいいかもしれません。しかしIT業界は急激に変化する業界ですから、単にプログラムを書くだけの仕事は全てAIに取って代わられます。10年先のことを考えると、瞬時にプログラムを書くAIと戦ってはいられません。先代の社長も、今まで自分たちがやってきた仕事は将来的には通用しなくなると分かっていました。そのため、会議で私の発言内容を聞いて「なんか変わったこと言っているぞ」と感じたらしく、先代から直々に社長に任命していただきました。

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業界の動き

リーマンショックによって世界経済が冷え込む中、ソーシャル市場は盛り上がりをみせ、iPad、スマートフォン(iPhone/Android)など新デバイスが登場。

蓑口's Eyes

私がIT業界に入った頃のコンピューターの役割は、人間が行うと時間のかかる煩わしい作業を担うだけの補助的な存在でした。それが今や、人々はコンピューターのアウトプットを見て行動するようになっています。自分で考えているようで、実際にはコンピューターの指示で動いているのです。

ユニシステム代表取締役社長就任

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蓑口's Eyes

私が若かった頃は効率や生産性ばかり考えていましたが、振り返ると無駄なことは一つもありません。失敗したことも財産ですね。なので、タウンミーティングでは、仕事に対する考えや生き方の話をすることが多かったです。
一方、若手社員を対象に絞ったイブニングトークという対話集会では、「上司に質問しづらくて困っている」など切実な悩みに対して私なりの考え方を伝えて、何か気づきを得て前に進むキッカケになればと思い行っています。

社員の意識改革
「お客様に選ばれる立場から、
お客様を選べる企業へ」

社外取締役を経て代表取締役社長に就任後、各支店を回ると、支店同士のコミュニケーションが不足していることに気付きました。本社も支店の悩みを解決しようという意識がなく、これでは組織として機能しないと感じました。そこで、全社員が同じ方向を向くために、共通の目標が必要だと思い、中期経営計画と企業としてのビジョンを設定して、各支店を回り、それぞれの説明をしました。これは現在も「タウンミーティング」として続けています。
そして、営業には「まずお客様を知ることから」と口酸っぱく言っています。お客様を知ることで提案内容に選択肢ができます。たった1つだけ提案するのと、多くの選択肢の中から提案するのとでは全然違いますし、お客様からの信頼もついてくるのです。また、今まではお客様から選ばれる立場でしたが、私たちもお客様を選べる立場になろう、と意識を変えることから始めています。
多くの企業は売上や利益などの数値目標と目標を達成するための個人のスキルや能力を注視しますが、それらよりも大事なのは社員一人ひとりの意識だと考えます。企業や業務に対する強い思いや目標さえ共有できていれば、結果は自ずとついてくるはずです。核になるビジョンがあれば、外的要因で一時的に業績が落ちたとしても振り返って修正ができます。各過程に焦点を当て、それぞれ間違っていなければ、将来的には必ず目標は達成できるのです。

未来

既存ビジネスから新しい
デジタルソリューションの提供へ

今期から11支店を3つのエリアに区切り、支店ごとではなくエリアでお客様とお取引することで、最適なチーム編成を可能にしようとしています。そして既存ビジネスと並行し、新しいソリューションをお客様に提供するため、ソリューション開発のビジネスを2つ立ち上げました。未来のための事業なので、今はまだ予算も人員も少ないですが、徐々に既存ビジネスからシフトする構想で動いていきます。どちらで活躍したいかは個人の選択ですが、1人ひとりに役割と責任ができる仕組みなので、自分で考えて動く習慣が生まれます。まだ種まきの段階ですが、これからどんどん面白い企業にしていく方法を常に考えています。

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業界の動き

「ビッグデータ」「IoT」「人工知能」といった先端IT技術が、市場拡大の鍵を握っている。これらを実用化させるIT人材は、世の中に必要不可欠な存在。

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IT業界の魅力

この業界に入って40年経ちますが、ここ4~5年の動きは、それ以前の35年よりも流れが速く画期的です。コンピューターの処理速度は格段に速くなり、データを保持できる量が増えて通信速度も上がりました。また、技術を生み出す人間側の発想も変わり、人間が考えなくてもいいような時代になって誕生したのがAIですね。最初は補佐的な道具でしかなかったものが、今や世の中を変える起爆剤になっています。IT業界は、常に新しい発見があるところが面白いです。これから先どうなるかは誰にも想像つかないですが、とにかく変化の根幹はデジタルだということは明確です。デジタル化に対応していかないと、ビジネスが立ち行かなくなります。お客様には本業の方をしっかり走ってもらえるよう、私たちはIT分野でしっかりサポートする。これからのIT企業はそんな使命を担っています。

学生へのメッセージ

私の通った大学や就職先は第1志望の環境ではありませんでしたが、環境に合わせて自分で考えて行動することで、経験を積んできました。これからの時代は、どこで何をしたかではなく、一人ひとり何ができるかを問われます。先が見えない時代だからこそ、まだまだITにできることはたくさんあります。20年前はビジネスではなかったことも、現在はITの力でビッグビジネスとして成立していることが多く、これからは何でもビジネスになる可能性を持っているのです。ユニシステムには、スキルや年次に関係なくチャレンジできる環境があります。皆さんの柔軟な発想を楽しみにしています。

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ITの未来、新たな自分が
ここから始まる。

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